秋葉原和食 車力

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2007.01.01

車力の考える「旨い」とは何か


旬の素材をそのまま食べるのが最も旨い。だからこそ的確に旬を捉え、旬の食材を純日本料理・和食として提供します。

素材の選別は目利きが全て。最も旨いサイズ、鮮度を正確に見極めて仕入れます。だから産地というブランドには流されない、純日本料理・和食を提供します。

下ごしらえが基本に忠実でなくては日本料理は旨くはなりません。基本がない日本料理には奇抜というだけで「味」がないと思います。

季節を感じながら10年もの長い期間を日本料理・和食のために費やした修行は、どんなにセンスがある人でもこの修行を乗り越えることが日本料理の基本だと思います。

誰でもできる日本料理・和食の粋を越える

魚は誰でも焼けます。刺身は誰でもひけます。しかしそんなことに私は疑問を感じます。焼魚は遠火で強火でゆっくりと熱を通し素材のうま味を逃がさないように注意を払い調理をする、だからそこに魚本来の旨さがあります。

あとはいい按排の塩加減。純日本料理・和食としてご提供までに20分かかってしまうこともありますが、ファーストフードの時間軸がエコノミックアニマルの時間軸になり、焼き置を許してしまったのではないでしょうか。

刺身は死後硬直がとけてから旨味がでます。その瞬間が素材の味であり、最も旨い時だと思います。ただ大量仕入れによるコスト削減を目指した結果、鮮魚の在庫管理のために、間違った活けのムーブメントが生まれ、本来の旨いが解らなくなってしまったのが日本の現在の姿だと思います。

純日本料理・和食の職人の存在意義

このような動きの中、職人はポリシーを忘れてしまったのかもしれません。私は生まれながらの日本料理屋で育ったこともあり、幼いころから「旨い」ものを食べる機会に恵まれてきました。

子供ながらに車力で食事をしたときに、「ああ旨いな」と純粋な感動があったことを今でも覚えています。また、今でもお子様が来店したときにお吸い物をおかわりしてくれるときがありますが、こういう素朴ながらも日本料理・和食の基本で奥深いこういった料理が本当の「旨い」のではないでしょうか。

私は子供ながらに「旨い」を経験させてもらったおかげで、車力とは異なるお店の刺身や焼魚を食べても「旨い」と感じることは少ないです。何かが違うと感じてしまいます。子どもから大人へと成長する過程で、車力の歴史を担う舌を何十年と培ってきたのだと思います。

純日本料理・和食の要となるのは、素材もさることながら、職人の「腕」が大事なのでしょう。「腕」という1つの言葉の中に、多くの意味が凝縮されているように思います。

そしてつきつめて考えると、磨いた「腕」を十人十色の味覚、さらに現代ではおもてなしという場面でのニーズにこたえることが「間」なのではないかと考えます。

「腕」に「空間」と「サービス」がバランスよく合わさり、そこにいい按排の「間」を置くということが、「ああ旨いなあ」という感情が生まれるのではないかと思います。

だから誰よりも密かに努力を重ね、さりげなくそれを振る舞う。そこに純日本料理・和食を食すまでの果て無きドラマが生まれるのではないでしょうか。